ストレススキャンの技術的背景

スマートフォンのカメラから読み取った脈拍データをもとに、「心拍変動解析(Heart Rate Variability: HRV)」という医学・生理学的な手法を使ってストレスを科学的に定量化しています。

ストレスを測定するということ

ストレス反応は生存のための仕組み

さまざまな動物と同様に、私たち人類の祖先は、肉食動物などの天敵から逃げながら獲物を狩って生き延びていました。
このような「闘争や逃走(fight-or-flight)」の際に、通常よりも素早く力強く動く準備をするため、脳から指令を受けた自律神経の「交感神経」とよばれる仕組みが、さまざまなホルモンや神経伝達物質(ノルアドレナリンなど)を分泌し、心拍数を上昇させ全身に血液を送り出そうとします。

こうした、外部環境からの刺激や変化をストレッサーとよび、それに体が対応する仕組みは「ストレス反応」と呼ばれており、進化の過程で生き残るために非常に重要な能力でした。

もちろん、ストレッサーが少ないほうがよい面はありますが、全くストレスがない状態に慣れてしまうと、この「ストレス反応」の力が弱まってしまうため、いざというときに適応できなくなってしまう可能性もあると言われています。

常にストレスにさらされていると身体に悪影響

問題なのは、常に「ストレス反応」にさらされているために、傷ついた体の回復が追いつかず、ダメージが積もり積もってしまうことです。
常に強いストレスにさらされていると、「ストレス反応」による血管や心臓への負担、ストレス時に分泌されるホルモンの影響が蓄積し、身体の様々な部位に悪影響を及ぼしてしまうということがわかってきました。

国立がん研究センターが実施した大規模なコホート研究は、ストレスを日常的に感じている群はガンのリスクが高くなっていたという結果を報告しています。
他にも世界中の様々な研究機関によって、多くの病気とストレスが関係していることが示唆されています。

最近では、NHKが「キラーストレス」という単語を使って、ストレスが死につながる様々な病気の原因になっていると警鐘を鳴らす特集を放映し、大きな話題になりました。

だからこそ、ストレスを「測定」して、ストレスが常に高い状態になっていないか、体が回復できるようにストレスを解消できているか、といったことに気を配ることが、ストレス社会といわれている現代において必要だと考えられます。

測定の原理

ストレス反応を含め体の様々な臓器をコントロールしている「自律神経」の活動状態を測ることで、ストレスの状態を推定することが可能と考えられています。

自律神経は大きく「交感神経」と「副交感神経」に分類されます。ストレスを感じる「闘争や逃走(fight-or-flight)」の時には、「交感神経」の活動が活発になり、心拍数の増大や血圧の上昇などが起きます。

逆にストレスから体を回復させる「安静と消化 (rest-and-digest)」時には、「副交感神経」が活発に活動しています。

この自律神経の状態を測る方法として世界的に最も一般的に用いられる手法の一つが、心電図や脈波計測によって得られた心拍の間隔の変化を分析する「心拍変動解析(HRV)」とよばれるもので、ストレススキャンもその手法を使っています。

HRVについて

原理・根拠

交感神経と副交感神経はアクセルとブレーキ

交感神経と副交感神経は、それぞれ心拍数を上げる役割と下げる役割があり、心臓を自動車に例えるとアクセルとブレーキのような役割になっています。

交感神経は、ノルアドレナリンとよばれる神経伝達物質を放出し、それを心臓のペースメーカー部分である洞房結節と呼ばれる部位にあるアドレナリン受容体に届けることで、洞房結節の細胞活動が活発化し心拍数が上昇します。
一方で、副交感神経からはアセチルコリンという神経伝達物質が放出され、洞房結節のアセチルコリン受容体に伝わり、洞房結節の細胞活動が抑制されるために心拍数が下がります。

交感神経と副交感神経はつねに活動しており、それぞれがこのようにアクセルとブレーキになって心拍数をある程度一定に保つような仕組みになっています。

心拍のリズムにはゆらぎがある

しかし、交感神経と副交感神経のバランスは外部のストレスなどに応じて刻一刻と変わります。また、交感神経で使われるアドレナリン受容体と、副交感神経で使われるアセチルコリン受容体で起きる化学反応の速度は違う(副交感神経のほうが反応が早い)こともあり、心拍数がぴったり一定のリズムになることはなく、実際には多少のゆらぎがあることが知られています。

自動車で高速道路を走るときも、だいたい平均すると時速100キロで走っていたとしても、実際にはアクセルやブレーキをこまめに踏んでいるので、瞬間的に105キロになったり90キロになったりを繰り返していると思います。それと同じ現象が心臓にも起きているのです。

心拍変動解析で自律神経の活動量を測る

このように、この心拍間隔の変動は、裏を返せば交感神経と副交感神経がどれくらい活動しているのかを反映されているため、心拍変動を分析することで交感神経と副交感神経の活動状態を測ることができると考えられるようになり、この手法を心拍変動解析(Heart Rate Variability: HRV)と呼ぶようになりました。

心拍リズムが変動していることはかなり以前から観察されて知られていましたが、20世紀に入ってから研究が進み、特にコンピューターが普及するにつれて研究が進んできました。1960年代にはすでに、旧ソ連の宇宙開発プロジェクトで、宇宙飛行士のストレスなどを測るために活用されています。

1996年には、ヨーロッパ心臓病学会を中心としたタスクフォースが、心拍変動解析の手法に関する標準化を目指してガイドラインを発表しており、その論文は1万回以上の引用をされ、心拍変動解析の普及が加速しました。
現在では、医学分野にとどまらず、人間工学、スポーツ科学などにも広く応用されるようになってきています。

方法

心拍変動解析を行うためには、心拍のデータを一定時間取得する必要があります。取得した心拍データに対し、異常値の除去などの前処理を行ったのち、解析を実施します。
この解析にはいくつかの手法が提案されており、様々な指標を算出して評価します。ここでは、代表的な方法を紹介します。

周波数領域解析(Frequency

心拍変動の時系列データから離散フーリエ変換や自己回帰モデルなどを用いてパワースペクトル密度を計算し、LF(Low Frequency)成分やHF(High Freqency)成分のパワー、全体のパワー(Total Power)を計算して評価する手法

時間領域解析

心拍変動の時系列データから統計的な指標(原系列や差分の標準偏差など)を計算して評価する手法

ストレススキャンではアプリとして使いやすい手法を選択

それぞれの手法には向き・不向きや要求される測定時間などの条件が異なるため、ストレススキャンのアプリではそれをふまえて、アプリとして使いやすいような手法を比較検討した上で使っています。
HRVで得られる指標は性別や年代ごとに傾向が異なるため、それぞれの過去のデータを用いて標準化し、1-100までの指数に変換しています。

心拍間隔の取得について

スマホで測定している原理

ストレススキャンは、スマートフォンのカメラから、指先を通して脈波を検出しています。
この原理は、光電式容積脈波記録法(Photoplethysmography: PPG)と呼ばれるもので、Apple Watchなどのウェアラブルデバイスに搭載されているLEDを使ったセンサーと同様の原理です。

一般的に生体内に照射された光は様々な組織に吸収されますが、皮膚や脂肪、骨の光吸収量は一定であるのに対し、血液は心臓の拍動によって血流量が変化するため、血液中に含まれている、光を吸収するヘモグロビンの絶対量も血液量とともに変化します。この変化をカメラのセンサーで捉え、それを解析することで脈波形を取り出し、脈拍を検出しています。

電気信号を捉える心電式の心拍とこうした脈拍の値は厳密には同一ではなく、脈波は指先などの末端に伝達するまでに血管の状態や姿勢などによる影響を受けます。心拍間隔の微妙な変動を解析するHRVにおいてこの違いは小さくないという面もありますが、座って安静にしている状態であれば大きな誤差にはならないため、心電式よりも簡便で使いやすい脈波センサーを用いたHRV専用機器が広く用いられています。

精度

スポーツ科学の研究などでも使われるフィンランドPolar社のチェストベルト式心電計(Polar H7 ECG Sensor)と、スマートフォンのカメラ(Smartphone PPG)で同時に測定した結果、カメラでも非常に高い精度で心拍間隔を取得できています。

次のグラフは、HRVの指標として研究などでも広く利用されるSDNN(心拍間隔の標準偏差)を20-50代の男女20名で合計100回、安静座位で1分間、Polar H7とスマートフォンカメラで測定したものです。こちらについても充分な精度で計測が出来ているといえます。

ストレススキャンでは、ノイズのフィルタリングやスマートフォンカメラの低サンプリングレート(30Hz)を補うためのアップサンプリング等の処理を実施しています。また、さらなる精度向上のために、ノイズ除去などのアルゴリズム改良にも取り組んでいます。

参考文献

  • Task Force of the European Society of Cardiology and the North American Society of Pacing and Electrophysiology. Heart rate variability. Standards of measurement, physiological interpretation, and clinical use. Circulation 1996; 93:1043-1065
  • BERNTSON G. G.(1997) Heart Rate Variability : Origins, Methods, and Interpretive Caveats.Psychophysiology 34, 623-648
  • Ohio State University, Columbus, OH, USA, University of Oulu, Finland: George E. Billman, Heart Rate Variability – A Historical Perspective, Front Physiol. 2011; 2: 86.doi: 10.3389/fphys.2011.00086.
  • 林博史(編),心拍変動の臨床応用-生理的意義, 病態評価, 予後予測-,医学書院, 1999
  • NHKスペシャル取材班(著),キラーストレス 心と体をどう守るか,NHK出版新書, 2016

  • ストレススキャンの技術的背景